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法律の中のインディアン

インディアンが現在アメリカ大陸で生活している環境には、白人との間に取り決められた数々の決まりや法律があります。現在ある法律以前にも白人開拓者からインディアンへ、色々な取り決めや法律が何度も取り交わされてきました。そういった歴史のなかで決められた法律とはどんなものなのでしょうか?
また、インディアンは法律の中でどのように生きてきたのでしょうか? 過去有名な事件の数々や、先住民に対する法律や決まりから、白人とインディアンの関係をみることができるかもしれません。

 

アメリカ大陸に入植した開拓者たちがアメリカ合衆国を築き揚げていく中で、アメリカ大陸を移住してきたアメリカ国民の完全な支配下におく、という考えが生インディアンの強制移住法まれました。この法律ができる以前にも、インディアンに自発的な移住を求めていましたが、法律制定後になると半強制的にインディアンを移住させる方向へと変わっていきました。

強制移住法とは

アンドリュー・ジャクソンインディアン強制移住法は1830年に制定されました。この法律は、東部に住むインディアンの豊かな土地をアメリカ合衆国に明け渡し、やせた西部の土地に移住させる権限をアメリカ合衆国大統領に与える、というものでした。インディアン強制移住法成立時のアメリカ大統領はジャクソン大統領で、彼の就任中にミシシッピ川周辺に暮らすチェクトー族・チェロキー族・クリーク族など先住民たちに一定の条件を出し、ミシシッピー川遠方の西側の土地に強制移住させました。
この強制移住のためにジャクソン大統領はミシシッピ川の西側に住む部族のインディアンと、多くの大変多くの条約を結び東部のインディアンを西側に移住させる準備を行っています。この時の強制移住によって、アメリカ合衆国は日本の国土より広い土地を手に入れました。

チェロキー族の強制移住「涙の旅路」

インディアン強制移住法で移住させられることとなった部族の中には、先祖から受け継いだ土地を離れることを拒み、この法律を受け入れられないとしたり、抵抗を試みることもありました。しかし、拒んだ部族の多くが武力や強だつ、食糧不足などといった移動時の手配の不完全さから大変辛い目にあうことになりました。

中でもチェロキー族の移住は歴史上有名で、移住の途中で4000人以上が倒れたと記録されています。このチェロキー族の移住は「涙の旅路」といわれ、アメリカ史上に残る悲劇のうちのひとつとしても知られています。

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ドーズ法

インディアン強制移住法によってミシシッピ川西部に集められたインディアンは、この土地をも手中に収めたいとした白人によって、さらに土地を追われることになります。抵抗する力を失い、ただおびえるだけになっていくインディアンに対して同情的な考えを持つ人々の間から提案された法律もあります。

ドーズ法とインディアン

ドーズ法が制定されるまでの背景には、アメリカの産業や鉄道の発展があり、様々な物資の輸送が簡単に行われるようになったこともひとつの理由として考えられます。

このころには、それまで以上に武力も強力になり、ほとんどのインディアンを保留地に追いやることが多くなっていました。保留地も開拓に必要な場所になった場合には、保留地は撤去され、そこに暮らしていたインディアンは他の保留地へ移住させられていました。そのころになると、こういったインディアンに対する不当な扱いが非人道的であるとしてインディアンの土地の権利を認める法案「ドーズ法」が制定されました。

しかし、内容はインディアンを小さな土地を保有する農民として扱い、インディアンの文化ではなくアメリカ合衆国国民として生活させることが目的の内容になっています。そのため、この法律が制定されても多くの先住民族から反対されることになりました。

ドーズ法とは?

ドーズ法は、インディアン保留地で暮らしているインディアンに、保留地内の土地を各個人の保有地として割り当てる、というものです。その基準は、家長や独身者といった家族単位の他18歳以下と18歳以上でも条件が異なります。また、割り当てられた土地については一定期間置いた後売却・譲渡することができます。

しかし、このドーズ法によって割り当てられた土地を保有しているインディアンで、白人文化の生活をしている場合には、インディアンではなくアメリカ合衆国国民としてみなされルことになります。また、インディアン・テリトリに住んでいる部族やニューヨークに暮らすセネカ族にはこのドーズ法は適用されない、となっています。

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インディアン運動

アメリカ合衆国がインディアンの様々な部族に対して取り決めてきた法律や条約の中には、無条件でインディアンを移住させたり、権利を剥奪するものではなく、それなりの条件をつけたものでした。一見、インディアンとアメリカ合衆国との間で平等に取り決められた約束のように思いますが、取り決められた条件を合衆国側が守らないことや破棄もしくは不当に変更することも多くありました。

約束を反故にされたインディアンは、条約の内容を守るようにと訴えましたがそのほとんどが守られることはありませんでした。そういった時代が長く続き、不満や不信感の募ったインディアンの抗議や行動がインディアン運動と呼ばれています。

この抗議や権利の回復を目的として様々な運動をするために集まった団体は「レッド・パワー」と呼ばれています。これは、黒人の抗議運動「ブラック・パワー」とほぼ同じ時期に起こり始めたことからきているとも考えられます。レッドパワーによる数々の抗議運動の中には、アルカトラズの事件やウンデッド・ニーの事件などがあります。

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